そもそも私達はなぜ花を贈るという事を行うのでしょうか。
花束は実用性に乏しく、そして枯れていきます。
それでも私たちは花を贈ります。
特にここ日本では、日常に花を自家用途で「飾る」という習慣は定着しづらいイメージです。どちらかというと飾るものというよりは「捧げる」というニュアンスがしっくりきます。
床の間や仏壇に花を添え、手を合わせる。
それは根底には仏教、またアニミズムが浸透している日本ならではの心性なのだではないでしょうか。
花を尊い命、また自然の縮景として捉え、祈りを捧げる。もちろん普段は花を見た時にそこまで考えるわけではないですが、やはり無意識下に浸透している感覚なのだと思います。
一方で西洋はどうか。
キリスト圏では野菜を買うような感覚で花と親しんでいます。
3000円程の花束を持ち帰り自宅の花瓶に飾るような習慣が出来上がっているようです。
それは、イエスキリストが世界を創造し、唯一人間だけが命と精神を与えられた生き物だという考え方が根底にあるように感じます。自然や動物は精神を与えられていない為、そこに神が宿るという考え方はないのでしょう。狐憑きなんて考え方は無いのです。
この根底の考え方の違いはRICCAの手紙と花を贈るオーダーメイドをしていると今でも息づいていると感じている時があります。
それは、別れのタイミングでご利用頂く事が多い点です。
別れにも色んなシチュエーションがあり、送別の品として、或いは死別の時など様々です。
話を聴いていると、どんな別れの場面でも私たち日本人は別れという流れ、または運命をごまかさずに受け止める強さを持っているように思います。
人と人の間にある哀しさと儚さを花に捧げ、別れを受け止める。
その言葉にならない哀れはきっと、実用性がそぎ落とされた、枯れゆく花を贈る事でしか表現できないかもしれません。
RICCAはオーダーメイドの花屋です。送り主とフローリストの対話の記録を手紙に纏め、花束と併せて贈ります。
なぜこの花束になったかを伝える為です。
また、絵画をアフターブーケとして残す事が可能です。お気軽にご相談ください。
記事制作者 大脇 勇人
profile
大学で美術デザインを学び、芸術療法に関心を持つ。
卒業後、冠婚葬祭の花屋を経て、宝飾品ブランドに勤務。
嗜好品を求める行為を通して、社会の課題やの個人の心理について考究する。
その後は障害福祉事業所へ入職しながら、「聴く」事について探求。
オーダーメイドの花屋 R I C C A を始める。
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