最近の週末は必ずと言って良いほど雨が降ります。
風が草木を揺らす音と、外の世界を雨が静かに叩く音が妙に心地よく、心が深々と閉じてゆくようです。生まれが山陰地方だからか、曇り空が原風景として記憶されているのだと思います。私にとってはグレイッシュな空と雨音が落ち着きを与えてくれます。曇り空が苦手という方も多いと思いますが、過去の記憶によって解釈は違うものですね。
記憶とは、本来不確かなものだと感じています。
だからこそ日々生きやすくなっている面、また反対に生きにくくなっている実感もあります。
記憶が擽られる時は匂いや音、感触と本来様々ですが、私達の時代の主流は写真であるような気がします。
画像として切りとり、記録から記憶を擽る。
写真は以前からあるものですが、スマホやカメラの発達によって、誰でも鮮明な記録を残せるようになりました。なんだか、画質が綺麗になる度に記憶も鮮明に残せるような、そんな錯覚に陥ってしまいます。
ただ、手軽に、鮮明に記録を残せるようになったとしても記憶まで鮮明に残せるかといえばそうでもないのでは、と思っています。
写真は、時間や記憶を「面」で捉えます。
今、今の連続が時間となって未来へと動いていく。
今、今の一瞬は写真として切り取る事が出来る。
今、今の一瞬を切り取った過去は、切り取った「今」を鮮明にする。
でも今、今の間にも時間は流れている。
今、今の間は思い出される事もなく、記憶として滲み出てくる機会を失う。
それで良いという方も多いかもしれません。
それが良いという方ももちろんいます。
何でもはっきりさせようという時代の流れかもしれません。
それでも私は、時間と記憶を線で捉えたいと、思います。
不確かだけど、確かそうだったような気がする。柔らかな記憶が、日々の中でふっと擽られる。「今」の時間に流れるように、香るように偶然立ち現れる記憶の方が、自分を形作っている気がします。
RICCAでは、記憶を言葉によって紡いでもらい、それを写真や動画ではなく、あえて手紙にします。その方が記憶に誠実だからです。
記憶とは、本来不確かで主観的で、花のように儚いものだと思います。
RICCAはオーダーメイドの花屋です。送り主とフローリストの対話の記録を手紙に纏め、花束と併せて贈ります。
なぜこの花束になったかを伝える為です。
また、絵画をアフターブーケとして残す事が可能です。お気軽にご相談ください。
記事制作者 大脇 勇人
profile
大学で美術デザインを学び、芸術療法に関心を持つ。
卒業後、冠婚葬祭の花屋を経て、宝飾品ブランドに勤務。
嗜好品を求める行為を通して、社会の課題やの個人の心理について考究する。
その後は障害福祉事業所へ入職しながら、「聴く」事について探求。
オーダーメイドの花屋 R I C C A を始める。
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