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蛙始鳴




GWも終わり、母の日も終わり、季節はいよいよ夏に向けて助走を始めたようです。

花の市場も新緑がかった植物が増えてきました。

切花は季節を先取って店頭に並ぶ事が多いですが、5月の気温は30度近く、気候が花の先取りに追いついてきたような感覚を覚えます。

季節の助走が短くなってきたかもしれません。



そんな5月の上旬は沢山のギフトをご依頼頂きました。

特に普段会わない遠方の家族へ、あるいは友達へ。


様々な贈り物の選択肢がある中で花を選んで頂けるのはとても嬉しいです。

兎角最近は受け取り主への配慮として、腐らないもの、場所を取らないものなど、贈り主の皆様は頭を悩ますことが多いでしょう。


それでも、花を選んでくださった方は受け取り主への物理的な配慮以上に贈りたい、伝えたいという感情的な面が上回ったからこそ花を選んでくださったのではないかと勝手に想像しています。実用性がないからこその価値ですね。


普段は贈るという行為を何気なくしていますが、受け取り主にとって、また贈り主にとってどんな意味があるのでしょうか。


「贈る」の中には他にどんな中身が詰まっているのかを少し立ち止まって考えてみたくなりました。


何かを誰かに贈る時、当たり前ですが私達は受け取る人の事を考えます。

どこにいて、何をしていて、どんな生活や仕事をしているのか。


何を贈るかを考えている時は往々にして受け取る本人は「不在」の場合が殆どです。もちろん贈り物を受け取る瞬間が最大のハイライトであるのは百も承知ではありますが、贈る行為の大切な儀式として受け取り主が不在の場で思いを巡らす時間があると思うのです。


普段私は送り主の方とどんな花束にするかを一緒に相談します。

過去の贈り物や出会ったきっかけや現在の関係性、性格など聞く内容は様々です。


聞きながら思うのは、これだけ時間をかけて相手の喜ぶ姿を想像できる事それ自体が、とても尊い事だなといつも感じます。


そして受け取る本人が不在の場で、受け取り主との記憶を思い出す。その行為自体が受け取る方の糧になるのだとも思うのです。

本人は目の前にいませんが、でも確かに贈り手の語りによってその場に存在する。


自分自身がその場に「居る」事が無くとも、誰かの記憶によって自分自身が存在するという事でもあると思うのです。

またそれが今度は時間差で、ギフトが手元に届いた時には受け取り主が送り主の事を思い出す。

そんな時間の循環が私が思う贈る事の根っこにあり、出来ればその根っこごと、受け取り主に受け取って欲しいと願っています。


RICCAでは、私と贈り主との会話の記録を文字に起こし、手紙にした上で花と併せて贈ります。


相手の事を思う時間も一緒に、届けたいからです。




RICCAはオーダーメイドの花屋です。送り主とフローリストの対話の記録を手紙に纏め、花束と併せて贈ります。

なぜこの花束になったかを伝える為です。

また、絵画をアフターブーケとして残す事が可能です。お気軽にご相談ください。




記事制作者 大脇 勇人


profile


大学で美術デザインを学び、芸術療法に関心を持つ。

卒業後、冠婚葬祭の花屋を経て、宝飾品ブランドに勤務。

嗜好品を求める行為を通して、社会の課題やの個人の心理について考究する。

その後は障害福祉事業所へ入職しながら、「聴く」事について探求。

オーダーメイドの花屋 R I C C A を始める。










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